東洋医学の学理研究

  〜東洋医学の基本思想を易の論理にもとめて〜

日本国 東京 清野鍼灸整骨院 

院長  清野充典

緒言

 近年、東洋医学領域特に鍼、灸、湯液に関する学問体系は、そのいずれもが東洋思想(中国思想)を根本において構築されていないと考える。その理由は原理論とその臨床実践の乖離である。そこで思想の上からは東洋医学(鍼灸医術)は気の医学といわれるがそれは何かを検討してみたい。

本論

1. 東洋思想と易

 東洋医学の思想には、気の思想と天人合一の思想がある。また、その表現型として太極・陰陽・三才・五行・十干・十二支・九星など必要不可欠な言語があり、経絡・経穴という言語は鍼灸治療をする上でもっとも重要なものである。しかし、その言語の解釈は時代により異なっている。基本となる言語の理解が異なるために独特の解釈で理論化し、それに技術を当てはめて治療を行ない、独特の方式(日本でいう流派)が生まれている現状がさらに多くの方式を生む根源となっており、鍼灸を用いて治療を行なった時、良好な成果は生んでも、その方式間に共通の理論(言語)を生み出すことができない原因となっていると考える。

 そこで演者は、陰陽・五行など鍼灸の教典といわれる黄帝内経に記述されている文字(漢字)ができた背景を調べる必要があると考えた。漢字が出現し書物にあらわされたことにより意思の伝達は飛躍的に発展したと考えられるが、その漢字文化の教典となっているのは四書五経といわれている。そしてその四書(大学・中庸・論語・孟子)と五経(易経・詩経・書経・礼記・春秋)の中で、最も重要視されたのは易経である。易経は(−)と(- -)という符号の組み合わせがどういう意味を持つものなのかを表わした注釈本である。易は約6千年前に「伏儀」が創ったといわれているが、そののち周の「文王」と、文王の子「周公」、そして「孔子」が解説を加えたものが易経として今日に伝えられている。易経は漢字であらわされており、漢字による符号で学問体系化された最古の文献の一つと考えられている。

 この易経によると「易」は天人合一の思想をあらわしたものであり、宇宙の森羅万象を符号の組み合わせであらわそうとしたものであると解釈されている。易は宇宙空間を時間と考え、過去・現在・未来を表わそうとした。「過去」は、暗い世界であり、冷たく、動きの無いものとし、これを霊の世界(霊界)としている。「現在」は、人間の目に見える世界で明るく、温かく、動きがあり、さまざまなものが形づくられているので、象の世界(象界)としている。易は「未来」をも表わそうとしているため、人間が未知の世界に強く憧れ、これを占いとして利用したためか、易=占いというイメージが強く、学問として社会に受け入れられにくい風潮が古来より強いように思われるが、東洋医学を志すものには必須な理論体系であることを演者は申し述べたい。

2.東洋医学の基本思想に易が必須な理由

 易経は説明文なるがゆえに本質を見失いがちになる文献であるが、演者は易の論理が東洋医学の基本思想としてなぜ必要なのかを考えてみた。

(1)易は東洋医学の根本思想である天人合一を示すものである。

(2)易経では、(- -)(−)という符号を「陰」と「陽」という漢字(符号)であらわしている。陰陽論は東洋医学の根幹をなすものであるが、その思想を最初に漢字にあらわしたのが「易」であると現在考えられる。

(3)陰陽(- -、−)の思想が組合わさって三才・五行・十干・十二支などの概念が展開されている。そのため、易を東洋思想・医学の理論の根本と考えたい。

(4)以上から、易から生まれた論理と思想を共通概念として言語を組み立てていくことにより、歴史過程における言語の解釈の違いや臨床上の手法の違いを解きあかすことができると考える。

 易の陽(−)は金文等による上古文字の変遷を考慮すると○から転化してきていると考えられる。これは円転性や連続性のものをあらわす。陰は(- -)は切断性や不連続性をあらわす。

 身体を診る時重要な思想と考えるが、易の論理を臨床上活用できる点を述べる。

 1.1つの事象を見ようとする時、2つのとらえかたで見ようとする易の論理構成は、二元的でわかりやすい。

 2.人は生ある間常に変化しており、変化をとらえる学問である易は最適な論理である。

 3.宇宙の森羅万象の変化を全てとらえようという易の論理は、事象を見る時に全体をとらえやすくすると同時に、思考にいきづまった時に発想を転換させるのに役立つ。

 4.易の論理は、数学・遺伝子学・量子学などに共通する一面を持っており、東洋医学を科学化へ導くカギが潜んでいると考える。

 上記に共通していることは、易の論理は臨床に直結しやすい明解さを持ち合わせていることであろうと思われる。「医易同源」という言葉が存在することもうなずけるところである。

 以上の事柄は臨床上常日頃感じていることであるが、教育上では

1.は、陰陽の対立性および依存性

2.は、陰陽の相互転化

3.は、陰陽の消長平衡

 と教えている。しかし実際に身体を診たてる時、変化する身体を西洋医学のように特定原因論として固定的観点で判断することは陰陽観に反しており、東洋医学の理論体系に準拠していない。陰陽観を見失わないことが東洋医学の根本であり、易の重要性もそこにある。

3.易の論理 

 ここで易の基本的な論理をあげ、それを身体に置き換えてみたい。

 易には三義という考え方がある。三義とは簡易・不易・変易のことである。

(1)簡易とは簡単明瞭の事であり、太陽が東からのぼり西に沈む。春のあと夏がきて秋が過ぎたら冬がくるという世の中の単純な理法をいう。簡単は複雑のはじまりである。

(2)太陽や月、山や川、そして人間など変わらない物があると定義づけ、それを不易とした。

(3)川はいつも同じところにあるが川の流れは常に変わっている。これを変易とした。

 人間という身体は常にあるが、身体の中は常に変化している。そして、生から死へと人は移り変わりをくり返している。易の三義はそれをあらわしたものである。東洋医学はそのことを理解し、人の治療に応用した学問である。

4.陰陽論について

次に少し細かな点を論じてみたい。それは現代の陰陽論の解釈についてである。陰陽を考える時、事象を固定的にとらえて理論展開しているところが見られることが問題であると演者は考える。たとえば、「陰」は女、暗い、月とし、「陽」は男、明るい、太陽と断定的に記載してある文献を多く見受けるが、こういうとらえ方を易ではしていない。

 陰(- -)陽(−)とは、

(1)相対的な物であり

(2)絶対的な物では無くいつも動いている物であり

(3)対象とする物を一つに絞らないと分からない

 と捉えている。つまり、女という対象があって始めて男という答えがうまれるということであり、その理論展開こそが陰陽論の基本であるということを強調したい。東洋思想・医学の根本思想はここにあるということを共通の理解にしなければ西洋思想との相違が理解されず、混同することになる。

5.易と気

 常に太極(はじめ・原点)に立ち返らなければ今の自分(考え)を見失うことになるということを易は教えてくれているが、その太極とは気をあらわしている。東洋医学における気の思想は、荘子が知北游篇で、人間が生きたり死んだりするのは気によっておこる現象に過ぎないとし、気が聚つまると人となって命が宿り、気が散じてしまうと死ぬのだと論じてからだと認識しているが、それ以後気の解釈は様々なされている。古代の人間は眼に見えるものと眼に見えないものすべてに言語という符号をつけることで共通認識を得ようとしたが、「気」という言語は共通理解を得るにはあまりに範囲が広い符号だったというのがその理由であろう。

 人間を含め眼に見えるすべての生き物が「気」の集まりであり、その気の偏りが身体の不調を生むとした東洋医学の考え方は、現在の理論の構築と治療成績を見ても明らかに有益なものである。この「気」で構成された身体は常に遷ろい動くものであることを前提に身体を捉えなければ、東洋的思想と思考のもとに治療を行なうことはできない。東洋医学は特定の病名、證、症をたてて治療できる医学では無く、身体を象(かたち)として捉えることがこの医学のはじまりであると考える。人間の全体像を想像力で捉える事が大切である。身体の象(かたち)は「気」の集まりであることを強調したい。

 人を診たてる時、相対したり話を聞いているだけで、人のからだ(気)は変動するものである。また診察する際手を触れている時にも、からだ(気)は変動する。鍼や灸を一つのつぼに施すと、からだ(気)は大きく変わるということである。人の身体を捉えるには、常に変化するという理法の元に自分を置かないと捉えるのは難しいと考える。易はそのことを教えてくれる学問と考える。易の思想は東洋医学の根幹という基本にたち臨床に活用する事が、鍼灸医術を大きく発展させることになると考える。

 演者は、健康な状態から不健康な状態に常になるからだ=未病(変易)の治療体系のみならず、常に病気の状態のからだ(不易)の治療体系を確立することが、現代の東洋医学者に求められていることであり、病気に対応できる医療としての立場(簡易)を確立し、東洋医学の学問と技術体系を整備することは急務であると考える。

結語

 易は、気の医学を理解できる必須の論理である。現在理解しがたい東洋医学(鍼灸)を整理し、科学化への鍵を易が握ると考える。