『日本醫史學雜誌』第65巻2号197頁 通巻第1574号 令和元年6月20日発行
 第120回日本医史学会発表掲載論文 令和元年5月18日・19日

「瘀血吸圧法について」


清野充典
順天堂大学医学部医史学研究室


【はじめに】

明治七年八月十八日に医制が発布され、「医業」に従事する全ての者が初めて法の下で管理されることになった。明治政府は、医業従事者を医師に一本化する政策を打ち出したが、国内の諸事情を勘案した事に拠り、複数の免許を認可している。この間、療術行為や医療類似行為に対する取り締まりが戦前戦後行われた。その後医業類似行為に名称が統一され、医業類似行為業者の登録を制度化した。療術行為の一つである瘀血吸圧法について述べる。


【本文】
昭和四年、和歌山県知事が行った医療類似行為に対する照会に対し、内務省は昭和五年一月三十日に「当省トハ別個ニ貴庁ニ緒テ適宣御措置相成可然ト存候」と回答した。その事に拠り、医療類似業者に関して各府県がそれぞれに取締りを行う事となった。東京府は、同年十一月に「療術行為に関する取締規則」を定め、療術行為を「他ノ法令ニ於テ認メラレタル資格ヲ有シ其ノ範囲内ニ於テ為ス診療又ハ施術ヲ除クノ外、疾病ノ治療又ハ保健ノ目的ヲ以テ光・熱・機械器具其ノ他ノ物ヲ使用シ若ハ応用シ又ハ四肢ヲ運用シテ他人ニ施術ヲ為スヲ謂フ」と定義して、この業を営む者は、施術の方法等を所轄の警察署に届け出なければならない事とした。療術行為という名称の法令はこれが初出である。医療類似行為者が行う療術行為の一つに「瘀血吸圧法」がある。この治療方法は、昭和十年に青森県弘前市出身の小山内良夫氏が創始した。瘀血吸圧法専門学院を設立し、数多くの療術行為を行う医療類似行為者、医業類似行為者を輩出した。累計で1万人を超える卒業生を輩出したと推測される。この方法は、吸圧器に火を入れて皮膚面に装着する方法であることから、「熱・機械器具」を用いて施術する行為として認可されたと考えられる。昭和三十九年三月に、厚生省医務局医事課は、「医業類似行為は、大別して人体に効果があると思われる手技療法、電気療法、光線療法、刺戟療法、温熱療法の5つの行為を指す」と言っている。瘀血吸圧法は温熱療法として考えられていたと思われる。


【結語】
瘀血吸圧法は、医業類似行為5つの中で、唯一学校教育された治療方法である。昭和二十三年一月一日に開始した「届出医業類似行為業者」登録制度は、昭和三十九年に終了し、平成二年に東洋療法試験財団が設立され、「届出医業類似行為業者」には、あん摩マッサージ指圧師の免許を交付した。登録制度があった昭和二十三年一月一日から昭和三十九年迄の間に登録した「届出医業類似行為業者」数は、14700人であった。瘀血吸圧法を業とした届出医業類似行為業者は100名足らずだったと推測される。瘀血吸圧法専門学院は、昭和三十二年、学院長である小山内良夫氏の死去に伴い閉校したことから、この治療法を伝承する公的機関はない。現在、医業類似行為は、医師、歯科医師、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師または柔道整復師の法令で正式にその資格を認められた者以外行うことは禁じられている。瘀血吸圧法は温熱療法として考えられていたことから、きゅう術の一つとして伝承されることが望ましいと考える。


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