『日本醫史學雜誌』第66巻2号135頁 通巻第1578号 令和2年6月20日発行
 第121回日本医史学会発表掲載論文 学術大会令和2年12月19日・20日

「鍼灸治療について」


清野充典
順天堂大学医学部医史学研究室


【はじめに】

 わが国の医療は、江戸時代まで鍼灸治療、薬草治療、整骨治療、按摩治療等「本道」と呼ばれていましたが、明治7年(1874年)8月18日に医師制度(医制)が誕生してドイツ医学中心の医学・医療体制に変わりました。国の中心となる医療ではなくなったことから、別称として「漢方」と呼ばれるようになりました。明治17年(1884年)1月1日に行われた第1回医術開業試験以降、医師国家試験には漢方に関連した問題が出題されないことから、試験に合格することを目的とした医師たちは漢方を学ぼうとしなくなったため、明治20年(1887年)以降、漢方医学は大きく衰退しました。明治44年(1911年)8月14日には「按摩術営業取締規則」が制定され、漢方の一つである按摩術(あん摩)や徒手整復術(柔道整復術)は、正式に国家の医療として復活しました。同日、「鍼術灸術営業取締規則」が制定され、鍼灸師という医師以外に鍼灸治療を担う資格者が誕生していますが、鍼灸治療自体は国家医療として途絶えることなく制度上継続しています。鍼灸治療について検討します。


【本文】
 日本に鍼灸治療の医制度が出来たのは701年です。『大宝律令』の「醫疾令」には、医師・医博士と針師・針博士のことについて書かれています。明治7年8月18日東京府に発布された医制第53条において「鍼治灸治ヲ業トスル者ハ内外科医ノ差脚ヲ受ルニ非サレハ施術スヘカラス、若シ私ニ其術ヲ行ヒ或ハ方薬ヲ興フル者ハ其業ヲ禁シ科ノ軽重ニ応シテ処分アルヘシ」と規定されています。鍼灸治療は医師または医師の指導を受けた鍼医・灸医が施術しなさいという文言でした。医制の76か条は、条件がそろったものから順次施行する形が採られました。明治8年に改正された医制では、この文言が削除されており、「医制」発布後10年間新免状の特例を設けたこともあり、実質施行されませんでした。明治17年(1884年)1月1日に第1回医術開業試験が行われ「医師」が正式に誕生したことにより、「漢医師」の資格は消滅しましたが、国民が従前診療を行っていた医者の受診を希望する人が後を絶たなかったことから、内務省は明治18年(1885年)3月25日に「鍼灸術営業者の儀は従来開業者の者並びに新規開業せんとする者は自今出願せしめ 其の修業履歴を検し 相当と認むるときは差し許すこと苦しからず 其の取締方の儀は便宜相設くる可きと申し此の旨相達し候事」という通達を出しました。明治44年(1911年)8月14日には「鍼術灸術営業取締規則」を制定し、鍼灸治療は、医師以外に鍼医・灸医や漢医師が施術を行えるようになりました。明治44年(1911年)8月14日に「鍼術灸術営業取締規則」が制定され、鍼灸師が誕生したことにより、鍼灸治療は医師の他鍼灸師が担うことになりました。昭和22年(1947年)5月3日に新憲法が施行され、昭和23年(1948年)1月1日に「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法」が公布されました。それに伴い、鍼灸治療を施術する有資格者は、医師及びはり師きゅう師とされました。


【結語】
 江戸時代まで医者が行っていた鍼灸治療は、医制が出来る明治7年まで鍼医・灸医や漢方医が行っていました。明治7年以降は医師や漢医師、明治18年以降は、医師や漢医師・鍼医・灸医が担い、明治44年以降は、医師及び鍼灸師が施術しています。昭和23年より、医師及びはり師・きゅう師が行う医療と規定されていることから、鍼灸治療は701年より一度も途絶えることがない国家医療であることが分かります。昭和35年1月の医業類似行為違反で逮捕された後藤博氏の最高裁における結審判決の誤解は、平成4年に厚生労働省医事課長が鍼灸治療を広義の医業類似行為だとした通知にまで及びました。歴史を誤認識した見解であることから、平成27年(2015年)10月30日(金)厚生省健康政策局医事課長に異議申し立ての文書を提出しましたが、令和元年12月24日現在、この文言は厚生労働省のホームページより削除されています。また、無資格診療者を「非医業類似行為」者として取り締まる方針を示唆しています。以上のことから、鍼灸治療は医療であり、鍼灸治療を行うはり師きゅう師は、医業を行っている医療従事者であるということを結びと致します。


<< 清野鍼灸整骨院(研究業績・刊行物・メディア)へ戻る