皆様に東洋医学をご紹介させていただきたいと思います。

  おそらく明治以降生活様式や習慣が西洋化し、物質文明に慣れた人には、これから話す内容は、本当かな?ということが多いと思います。
 でも、東洋医学は真実・真理なんですよ。
東洋医学の思想は全て後付です。
  それは、まずこうすると良くなるという結果があって、それからそれらが、どうして起こるかが、考えられたからなんです。

 だから言葉を難しく考えないで下さい。
だって東洋医学は地球人類の皆さんが元気で一生を送るために考え出された理想の学問なんですから。

 まだまだわからない事も多く、どうしてそうなるのかもわからないだらけですが、わかること、できることから皆さんも始めてみませんか?

 明日からきっと今以上に身体の調子がよくなり、生きる元気が湧いてきますよ。

1.東洋医学の起こり

2.皆さん“易”って知ってますか?
3.孔子も読んだ易
4.易ってどんな意味?
5.易と東洋医学ってどんな関係があるの?
6.“東洋医学”という言葉
7.東洋医学ってどんな学問なの?
8.東洋医学を構成している学問
9.命・相・卜・仙・医
 9-1 命(めい)学とは?
 9-2 相(そう)学とは?
 9-3 卜(ぼく)学とは?
 9-4 仙(せん)学とは?
 9-5 医(い)学とは?

10.東洋医学の現状 

11.これからの東洋医学
12.ここまでわかった東洋医学

1.東洋医学の起こり

 人間は何年前から、この地球上にいるんでしょうね。
始めは何人からのスタートだったんでしょう。

地下鉄の電車は、どこから入れたかの話が受けたのも、そんな素朴な疑問はだれでも持つからなのでしょう。
 でも人間も人が増え、社会生活を忙しく送るようになると、そんな事は考えなくなりますよね。
 【忙しい】とうい文字は【心(こころ)】を【亡(なくす)】と書くんですよ。

 昔の人は、上手いことをいいますよね。
人が一緒に暮らすということは、大変なことですが、そこには絶対的に必要な物があります。
 それは、【言葉(ことば)】です。お互いに共通に理解するためには、名称(符号)が必要です。

 古代の人はある一定の法則のもとに次々と符号を付けていったのだろう、と考えるのは、私だけではないと思います。
 符号を付けるには、二つの種類にわけて考えて行っただろうと思われます。つまり「目に見える物」と「目に見えない物」です。
 前者の物に符号をつける苦労は、さほどなかったのではないでしょうか?山・川・木・水・天・火…。

 では、目に見えない物は、どうやって決めたんでしょうね。
 好き・嫌い・熱い・冷たい・嬉しい・悲しい・元気・病気………。
 おそらく、決めたときは一定のライン(線引き)をして、符号を付けたんではないでしょうか?

 人間は、毎日暮らしているうちに変化しない物(事)(目に見える物)と変化する物(事)が、だんだんわかってきたのだと思います。
 そして、その移り変わりを身体の中にもあてはめて考えるようになったのだろうと私は考えているんです。
 
身体も生まれてから死ぬまで、常に変化しています。
 まったく同じ時は、一分一秒もないんです。
でも、人間の固体(身体)は死ぬまであります。
一人の人間という存在はあるんです。

 その中は、マグマのように燃えさかり常にかわっているんです。
地球(大地)はいつもありますが、表面上はいつもかわっていますよね。(四季なんかあるのがそうですが)
そんな状態がどうして起こるのかって考えたのが東洋医学なんです。

 だから東洋医学はいつも身体全体を診(み)るんです。
どこが痛いっていっても全体を考えるんです。
 部分的にとか細胞は?という方向で考えるのは、そのずーっとあとです。

 結果的に細胞のことは考えなくてはいけないかもしれませんが、まず身体全体を診ないと分からないことって多いと思うんですよ。
何故かって?それは、人間には「心」ってものがあるからだと私は思っているからなんです。
心の持ち方一つで病気って良くなったり、悪くなったりするからです。

 だから、まず人間本人と、その人間を取り巻いている全部のことを考え、それから病気を診るんです。
 東洋医学って人間の心と身体を考えたスケールの大きい学問だって思いませんか?
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2.皆さん“易”って知ってますか?
 “易〜えき〜?”駅??液???
 多くの皆さんは易というと“占い”新宿の駅の雑踏の中、夜、薄暗いところにテーブルをおいて、机の上にあやしげな光をかもしだしている光景を思い出すことでしょう。
そう、易は占いです。でも、易というのは、学問なんです。
  易は、地球上にある万物全てのうつろいを文字にあらわした最初の学問なんです。
本当に〜?と思われるでしょうね。
  正確にいうと易とは、陰 という符号と陽(一)という符号を組み合わせただけのものです。
例えば、 は陽(一)が三つ重なった物で、乾{けん}(天)という意味を表します。

  は、陰 が三つ重なった物で坤{こん}(地)という意味を表します。
易は上古という約六千年前の時代に「伏義」という帝王が書いたといわれています。
六千年も前の時代ですから、文字なんてないわけです。
 壁画に絵を書いていた頃ですが、〇とか●(『史記』に出てくる河図や洛書が原点)のマークがもとになり、宇宙の森羅万象を表そうとしたのだと考えられてます。
ものすご〜く昔の話ですし、専門的ですから、聞いたことがない人が殆どでしょうね。
 伏義という帝王が書いた事になっていますが、これだっておそらく、多くの家臣、文人達が集まって考えたのだろうと私は思っています。

  伏羲が書いた文章はあまりに簡潔明瞭だったので、後々の人がだんだん解らない人が多くなったとみえて、それに説明を加える人が出てきたんです。
  それは、文王という人で、周という時代の王様です。
今から三千年程前の人です。
それにまた細かく周公という文王の子供が説明を加えました。
  と一の組み合わせを384考えたんです。
  世の中の真理を384にしたんです。
これを多いとみるか、少ないと見るかは、その人の考え方しだいですが、昔の人、特に中国の人は、豊かな発想を持っていると思いませんか?
 おそらく気の遠くなる作業をしたのかなぁ〜なんて私は考えています。

 当たるも八卦(はっけ)当たらぬも八卦とよく言いますよね。八卦“はっけ”とは、本当は“はっか”と言うんです。
  と一の組み合わせて基本的に八つ(下図参照) に分けたんです。

 この一つづつを掛(か)と言うんです。
 それで当たるも八卦というようになったんでしょう。
  この八卦と八卦をかけると64卦になります。
64の符号を書くと大変ですから、書きませんが、その64卦を基本として、その64を6通 りづつ細かくみると384(64x6)になるわけです。
  でも、その時代の人達は、それが共通認識だったんでしょうから、それで解ったのだと思います。

 言葉や学問は、時代と共に変わります。
  「最近の若い子が話している内容は良く分からない」なんて思った事ありませんか?
 共通認識はあるようで、意外に無いなぁなんて思ったりしています。

 たとえば「カクテル」。
カクテルは酒を混ぜ合わした物の意味ですが、それでは、酎ハイは?なんて思ってしまいます。
メニューを見ると酎ハイとカクテルはしっかり別々になっています。
 カクテルって色のついたシャレた飲み物?なんて思っている人は多いのでは?

 時代と共に廃れていく物が多い中で生き残っている東洋医学、そして、易ってすごいなぁ〜って思っています。
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3.孔子も読んだ易
 月日がたち、あの論語で有名な孔子様も易を勉強しました。
  孔子は70歳近くになって、はじめて易を読んだそうです。
糸でくくった本が三度もすり切れる程、勉強した孔子は、易に深く興味を持ち、「もっと若い時から勉強していたら…生涯悔いのないものになっていただろう…」という言葉を言われたそうです。

 孔子曰く、「易は40歳になって、人生が一通り解ってから、勉強すると人生が開ける」と言っていたそうです。
 その孔子は、10種類の説明文を付け加えました。
これで易は物凄く分かり易くなったと言われています。
伏義・文王・周公・孔子と長〜く受け継がれた易は、孔子によって完成されたといわれ、「易経(えききょう)」といって、今に受け継がれております。
歴代の黄帝や天皇は皆、勉強すると言われていますから、別名帝王学と言われたりもするぐらいです。

 な〜んか、勉強してみたいなんて思ったりした人もいませんか?

@孔子が書きあらわした易の説明文は、「」と伝えられ、十篇に依って成立しているので別 名「十翼」と称されます。
(上・下) ・(上・下)・(上・下)・を指します。
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4.易ってどんな意味?

 易という字の意味はいろんな説があります。
よく言われている説は2つあります。
  一つは日と月を合わせたという説、もう一つは蜥蜴(とかげ)の象形文字だという説です。
  易の字の上の日は、その頭で口の中のゝは、目にあたり、下の勿は胴と尾と足で、 という字を少し伸ばして書くと易という字になるという説です。
 蜥蜴は、1日に12回も色を変えるといったところが、この字になったのではないかというのうが、有力な説ですが、世の中の変化を著した書物には、かっこうの名前かな?なんて思ったりしています。
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5.易と東洋医学ってどんな関係があるの?

 易経は四書五経の中で一番と考えられており、どの時代の人も学問を志す人は、まず勉強していただろうと考えられるんです。

 今みたいに、情報はさかんにありませんから、机の前に座りじっくり勉強していたことと思います。
 そんな人達が医学書を書き表すとしたら、四書五経の中の考えや文字が引用されていくのではないかと、考えるのは私だけでしょうか?

※四書五経・・・儒学でたっとぶ四書は大学・中庸・論語・孟子の4冊の書物の事。五経は易経・詩経・書経・礼記(らいき)・春秋という5つの経典の事。
昭和・平成などの年号は、中国・韓国も含めて、この9冊の中から、二文字の熟語を選び出し、決して重複しないようにしている。

 東洋医学を勉強する人、特にはり・きゅうをする人は、誰でも「黄帝内経」という本や「難経」という本を読んでみるんですが、とっても難しいんです。
何が難しいかって言うと、漢字ばっかり並んでますから、意味が解らないんです。
しかも難しい漢字ばかり。
英語のアルファベットに比べると、文字の数が多すぎます。
よくこんなに考えたなと思うぐらいです。
 でも、何回も読んでいると(辞書を引きながら)だんだん解ってくるんですが、どうしても解らないのは、意味不明な言葉まわしなんです。

 例えば、
 経言東方実 西方虚 瀉南方補北方何謂也
 然 金木水火土当更相平

  経に言う、東方実し、西方虚せば、南方瀉し、北方を補うとは、何の謂うぞや。 然り、金・木・水・火・土、当に更相(こもごも)平らべくし。
                          (「難経」七十五難より)

  漢文が苦手な人は、見ただけで「あ〜わからん」になっちゃいますが、よ〜く漢字をもう一度見て下さい。
そんなに難しい漢字は、並んでいませんよね。
 むしろ東西南北、金・木・水・火・土なんて小学生でも知っている字です。でも、これの書かれている意味は?となるとチンプンカンプンです。
 それは“東”とか“木”とかは“符号”だからです。

 符号を付けるには、付けたときの時代背景があるんです。
  だからそれが決められた時代の本、易経を読まないと、その後に書かれた医学書の意味が解らないんです。

 おわかりになりました? だから、鍼灸師・東洋医学者は最終的には易経を読む事になっちゃうみたいなんです。
  でも、言っておきますけど、東洋医学者は皆“占師”(うらないし)ではありませんからね。
 易経は学問なんです、お間違いなく。
 でも、ここまで読んでくれた人は、何人いるのかなぁ?心配。
  読んだ人はメールを下さいね。 あと、感想もね。
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6.東洋医学という言葉

 東洋医学とは、どこの国の医学なのでしょうか。
 最近では「西洋医学」という言葉も耳にしますが、1970年代は「西洋医学」は、「現代医学」と呼んでいたように思います。

 1972年に中国・上海第一医学院での、鍼麻酔の成功がアメリカにより、世界に報道されてから、東洋医学という言葉がチラホラ聞こえてきたような気がします。

 実際1978年に世界で、はじめて設立された鍼灸専門の大学である、明治鍼灸短期大学(現明治鍼灸大学)の学生も当時は、“いわゆる東洋医学”と呼んでいました。

 1980年代に入り、マスコミがよく報道するようになって、国民にも東洋医学という言葉が定着してきたように思われます。

 東洋(医学)に対して、西洋(医学)という言葉が生まれたのかなぁって思っています。
 その頃の中国では、漢方(いまでも日本では、それが共通語のようですが…)といっていましたが、中国国内では、漢民族の他に50近い少数民族に配慮して「中医学」というようになっていました。
 漢方は、時代に 出来上がった法(医学)なので、そう呼んだらしいのですが、漢民族の他にも多くの人の手で作られた医学の積み重ねの結果 、漢の時代に完成されたということの配慮もあったのでしょうか。

 その「中医学」という名称も「東洋医学」という言葉が、横行するようになってから変えられた気が、私はしているのですが、中国(民族)のプライドの高さなのかなぁ?と私は勝手に感じております。
 昨今では「中国伝統医学」と呼んでおり、鍼・灸・湯液(とうえき:漢方薬)でする医療のことを指しているようです。

 それでは、東洋医学ってどこの国のどんな医学なんでしょうか。
はっきりいって、東洋医学はこれだ!!という定義をしている国はないと思います。
ただ中国で生まれた医学。はり・きゅう・漢方薬・按摩・気功…なんていうのが東洋医学、というふうに医療(治療)をしている人も医療(治療)を受けている人も思っているのではないでしょうか。

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7.東洋医学ってどんな学問なの?
 中国伝統医学は、“はり・きゅう・湯液(漢方薬)”を主な医療としているようですが、最近東洋医学という言葉の使われ方をみると、気功や食養生活なども含めありとあらゆるところに使われている気がしませんか?
 エステ業界や飲料水など、実に幅広くなっています。
これは、日本という国が東洋だから受け入れられやすいんだと思っています。
 東洋思想イコール中国思想が根底に文化として根付いているからではないでしょうか?

 東洋医学ってどんな学問かということを考えるには、まず、中国思想、哲学を学ぶ必要性があることは、どうも避けて通 れないなぁ、と私は思っています。

 中国思想 イコール 四書五経 イコール 易経
こんな短絡な結びつけは、このホームページを読んでくれている人には、失礼なので、こんどは角度をかえて、お話してみます。

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8.東洋医学を構成している学問

 東洋医学は、命、相、卜、仙、医という学問(術)で成り立っているんです。

 人間は、宇宙大地から命を授かると考えます。(1)
 その命は、両親や兄弟姉妹、祖父母、先生などの愛を受けて人格が形成されていきます。(2)
 しかし、社会生活を送るためには、いろいろな問題が発生します。一生を無事に送ることは大変なことです。(3)
 心身共に健康に過ごすために、人間はいろんな方法を考えました。(4)
 しかし、自分の意に反して病気をしたり、志なかばで生涯を閉じることもあります。(5)

 東洋医学は、人間の一生を考え、それぞれにおいて学問体系してきました。
(1)に対して命学(術)(めいがく)という学問を
(2)には相学(術)(そうがく)
(3)には卜学(術)(ぼくがく)
(4)には仙学(術)(せんがく)
(5)には医学(術)(いがく)
という学問(方法)を考えたのです。

 東洋医学は、心と体の両方、人間の一生をトータルに把握する学問なのです。
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9.命・相・卜・仙・医(めい・そう・ぼく・せん・い)

 いままで聞いたこともないような言葉が並びましたね。
でも、実は皆さんの生活の中では、結構使われているんですよ。

9-1 命(めい)学とは?

 命学(めいがく)っていうと、んんん……?!!という感じですが、命(いのち)というと、あ〜なるほどって思うでしょう。
 この命という言葉は我々が、生(せい)を受けるとはじめて発生するんです。

  運命(うんめい)という言葉もきいたことがあるでしょう。
ジャジャジャジャーンって頭の中に浮かんだ人は、何人いるんでしょうね。
でも、日本では運命というと“さだめ”と理解する事が多く、一般には“決まった事”ととらえる人が殆どでしょうね。
「これが私の運命だから………」と諦めないで下さい。
運命ってそんな意味で付けられたんじゃないんです。

 人間(生物)は、皆必ず死を迎えます。
生から死へ向かう間を命(いのち)といいます。
この命は、生(せい)を受けたときから、死(し)へ運ばれると考えられました。そして、それを運命(うんめい)というようになりました。
この運命は、運ばれる(受動的)とも、運ぶ(能動的)とも考えられます。人が生きる(人生=じんせい)ということは、いかようにもありようがあると考えられます。「運(うん)」 という文字は「軍(いくさ)」に「(しんにょう)」をかけたものですから、長い戦いの道を背景に考えられた文字かもしれませんね。

 この世に生まれた命は、どのように発生したのか。
 
この世に生まれた命(いのち)をどのようにして理解しようとしたらよいのか、ということで考えられたのが命学です。
その中心となる学問に気学(きがく)という考えがあります。
これは、易(えき)から派生し、易を応用して考えられた学問です。人間には眼に見える物と眼に見えない物があります。眼に見えない物でも風を感じたり、人が側に寄って来たりしてもわかるのは、どうしてだと思いますか。
古代の人は、それに「気」 という言葉(符号) を付けました。そして、気が疎(そ)な物は、眼に見えないとし、気が密(みつ=ぎゅーっと詰まった物)なものが形となって人間の眼に見えると考えたのです。草や木の植物、犬や猫などの動物、そして人間も気の集まった物だと考えるようになったようです。今の科学でいえば、「気」という言葉は、原子や分子レベルの感覚のような気もします。でも、それで説明がつくならとっくに誰かが証明しているでしょうから、もっと小さな物質なのか、はたまた全く別 な発想をしなければならないといったところでしょうか。

 私達がこの世に受けた生は命という旅、つまり運命という人生を歩むわけですが、この命は決められたものと変えられるものがあると考えました。決められたものは生年月日とか両親です。そして、命学では、そこに何か意味があり、また共通 点があるんだろうと考えました。

 たとえば、私は4月生まれですが、4月に生まれた人は、皆春の「気」を受けて生まれたと考えます。では、「春」という言葉(符号)は、どんな意味を持っているのでしょう。

 皆さんが思っている感覚とあまりかわらないと思います。
春は暖かくなるという意味を持っているとすると、春に生まれた人は根本的に皆暖かい性格を持っていると考えるわけです。
ところが、それが一生続くと思いますか。
それには、続く人と続かない人がいると考えます。人の性格は、社会環境によってかわるからです。そういう命の動き(変化)を「運」という言葉(符号)であらわしたのです。

 それらの1つ1つを学問的に体系化したのが命学です。
気学でいえば、十干(じゅっかん)、十二支(じゅうにし)、 九星(きゅうせい)、五行(ごぎょう)、そして陰陽(いんよう)という考え方になります。また、四柱推命学という考え方もあります。占いや方位 、運勢に興味がある方は、聞いた事があると思います。いずれも易から派生した考え方といって差し支えないと思います。
古代の人はそういう東洋思想の中の変わらないもの(人間という個体)と変わるもの(健康・病気)を人体に応用する方法を考え、医学(医術)を確立していったのだろうと私は考えています。
ですから、東洋医学で使用する共通の言葉や考え方は一定しており、西洋医学の言葉と全く異質のものですから、考え方もおのずと異なっています。皆様が病気の説明や治療を受けても、双方の医学に共通 性が無いため戸惑ってしまうことと思います。

 お話がちょっと難しくなったかも知れませんが、気学の「気」という言葉は、日常の生活の中でかなり使われています。「やる気」、「根気」、「元気」、「気が入っていない」、「あの人は私に気がある」等々、気という言葉は生活に根付いています。身体でいえば「気が重い」という言葉があります。精神的な悩みがあると身体は物凄く重く感じて、足取りも鉛の靴を履いたようになる経験を誰もがした事があると思います。
また、お腹がペコペコで力が入らない時、にぎりめし1個食べたとたんに力が出るようになったという経験も誰もがあるのではないでしょうか。

 現代の科学(医学)では、これを証明する方法はありませんが、東洋医学では、説明・論理だて出来るのが面 白いなぁ、と私は思っております。
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9-2 相(そう)学とは?

 相学の相(そう)という言葉も皆さんは、お聞きになったことがあると思います。
これは、人相(面相)学、手相学、体相学、印相学、家相学、基相学、色相学、形態相学、姓名判断などの事をいいます。
こう紹介すると殆どの方は、また手相拝見、1回2,000円なんていう事を連想する事と思います。
 印鑑を作るときに専門の鑑定士に見てもらったという経験のある方も沢山おられることと思います。最近はあまり気にしない方もおられるようですが、家を建てるときに家相を気にする方も沢山いらっしゃるのではないでしょうか。
 姓名判断は殆どの方が何らかの本を見たことがあるかと思います。
相という言葉(符号)は、手や顔、また家などを見たとき、その瞬間眼に見える状態を見るだけではなく、その人(物)が存在したときから、見た瞬間の直前までの眼に見えない状態も見ようと(考えよう)としたことが、背景にあります。
つまり、あるできごとを理解しようとした時にいくつもの要因が重なり合って、今の状態があるのだという事を理解しようとした学問なのです。
その点で易や気学と共通しています。

 東洋思想は、1つの出来事は連続性(アナログ的)であり、今の瞬間眼に見える物(デジタル的)は、その一通 過点にすぎないと考えます。ですから、過去・現在・未来を常に考えた理論構成と思考をするわけです。
相学とは、それぞれをそのように考えた学問ですが、その中で身体に応用出来る部分を故人は考えたのだろうと私は考えています。
 手相学や人相(面相)学は、そのものずばり応用ができます。
皆さんも「あの人は人相が悪いわね」という言葉をお使いになった事がないでしょうか。身体の調子が悪くなると顔は歪んできます。心が歪んでくると、更にその傾向が強まります。それを眉毛・目・鼻・口などを部分的に更に系統だてていった学問が面 相学です。

            

手相も同じです。
 西洋医学でも、爪が黒くなるとアジソン病だとか、手がくも状に紅くなると肝臓の病だというような診断方法があります。
 東洋医学は古くからそれを行っていたという事になります。ただし、東洋医学に共通 した言葉で、ということになります。
 家相も家の事だけのようですが、ここで方位(学)という考えを加味して考えると身体に応用出来ることが、沢山あります。方位 というとまた占い的要素が強く、頭の中で強い抵抗が発生する方も沢山おられることと思いますが、方位 (ほうい)とは、自分が位置する方向 という言葉(符号)です。
 自分の立っている位置が、後ろの人から見た時“北”だとすると、前から見る人には、“南”という事になります。方位 とは見る観点によって変わってくるわけです。こういう考え方が東洋思想の特徴ですが、この方位 が身体に及ぼす影響というのが、実に多く考えられます。このことは、くらしと養生のコーナーの「住居からくる不養生」にて詳しく述べますので、そちらを参照していただきたいと思いますが、相学全体の思想から東洋医学は「養生」という言葉(符号)そして、考え方が生まれたのかなぁ、と私は考えています。

 悪い(良くない)相がどのようにして起きたのか、という事を考えられる(眼に見えない部分)という事は、それに対応した思想も生まれるからです。
 東洋思想(医学)の最大の特徴は、この養生(生を養う)という考え方ではないかと私は思っております。

 東洋医学は、全人的・全人格的医療であると昨今言われるようになっておりますが、この辺に起因しているのではないかと私は考えております。
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9-3 卜学(ぼくがく)とは?

ト学(ぼくがく)とは、易の事です。

 ト(ぼく)とは、占の上の象意ですが、占(うらなう)とは、目の前にあらわれた現象・事象の意味を検討・検証・思考するという事です。
未来を予測することのみに囚われがちですが、そのことが占う、つまり易の意としていることではありません。
易は、陰陽論を意としていますが、陰陽論とは物事を2つの方向性をもって思考しようとする思想です。
ある物事を見ようとするとき、表と裏があると考えます。
つまり人を見ようとするとき、眼に見える部分にお腹があるとすると、眼に見えない部分、背中にも何か影響があると考えるということです。東洋の思想は、この陰陽論つまり易の思想が基本であり、東洋医学の原点であると考えられます。

 易は、占いだと思っている殆どの皆さんに、この思想、学問が中国人や日本人の思考の根本にあるんですよって、私は言いたかったんです。
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9-4 仙学(せんがく)とは?

仙学(せんがく)とは、仙術の事を指します。

  仙人の仙(せん)というと、あ〜なるほど、と思うでしょう。
でも、仙人というとヒゲをはやして杖をついた老人を思い浮かべる事と思います。
何かとてつもない力を持っている特殊な人間のイメージですよね。
また、不老長寿のイメージも持ち合わせていると思います。

  仙術とは、病気にならない丈夫な身体をつくりだす方法と考えて良いと思います。
中国では気功、インドではヨーガというのがそれにあたります。
いわゆる健康体操(運動)法というのは皆それにあたると思います。
詳しくは、運動・体操のコーナーをご覧いただきたいと思いますが、これらの方法に全て共通しているのは呼吸です。
人間は呼吸が止まったら死にますが、病気の時や緊張している時は、呼吸が浅くなっています。
いかに空気中の酸素を身体にうまく取り込むかがポイントとなります。
どんな運動をしていても、そこが問題となるわけです。
 私は日本の武道や、茶道、華道、書道など皆呼吸を重視していますので、これらは皆仙術と考えて良いのではないかと解釈しています。

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9-5 医学(いがく)とは?

 東洋医学における医学とは、お話してきたように、命・相・ト・仙の各思想に基づき、身体に応用できるところを理論構築し、それに臨床経験を積み上げていったものをさします。

 現代医学と比較してみると、とても長い時間をかけて作られて来たということがおわかりと思います。
1つ1つの言葉は、西洋医学と同様にとても専門的ですので、東洋医学だけの言葉で説明を聞くとしたら、少し耳慣れてきた西洋医学の言葉よりもはるかに聞き慣れない言葉が並びチンプンカンプンの事と思います
 また、東洋医学で使う言葉は、1つ1つに東洋文化・思想の深い意味合いを持ち合わせますから、余計に大変です。
 専門家同士でも歴史上の解釈の違いにより、話がかみ合わないくらいです。
このことは、東洋医学者同士の今後の課題ともなっています。

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